岡山地方裁判所 昭和39年(ヨ)308号 判決 1966年9月26日
申請人 弓立光善
被申請人 井笠鉄道株式会社
主文
被申請人は申請人に対し、昭和三九年一一月一七日以降毎月一一、四九〇円の割合による金員を毎月二六日限り支払え。
申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
第一、当事者双方の申立
一、申請の趣旨
申請人は被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有する地位を仮りに定める。
被申請人は申請人に対し、昭和三九年一一月一七日以降毎月一一、四九〇円の割合による金員を毎月二六日限り支払え。
申請費用は被申請人の負担とする。
二、答弁
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
第二、申請の理由
一、本件解雇の無効
(一) 被申請人は、主として岡山県西部地域において鉄道・バスによる運送事業を営んでいる株式会社である。
申請人は、昭和三一年三月二二日被申請人より試雇として雇傭され、同年五月二二日本採用されて車掌となり、以後昭和三五年一一月七日より営業係兼車掌昭和三七年七月一二日より営業係の各職務に従事していた。そしてその勤務場所は、当初は寄島営業所昭和三五年六月一五日より玉島営業所昭和三六年三月一五日より鴨方営業所であつたが、昭和三七年七月一二日以降は玉島営業所であつた。
(二) 被申請人は、昭和三九年一一月一六日申請人を諭旨解雇した(以下「本件解雇」という)。そして、申請人の同日以前三ケ月間の平均賃金額は月額一一、四九〇円であり、その支給日は毎月二六日であつた。
(三) ところが、申請人は、諭旨解雇に付されて然るべき懲戒事由に該当するような行為をしたことはないのであるから、本件解雇はその根拠を欠き無効である。
1 すなわち、被申請人が本件解雇の原因事由として主張する事実のうち、申請人は、妻貞子・長男真の家族があり、また私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部(以下「組合」という)の執行委員・青年婦人対策部長の地位にあつたが、昭和三九年二月中頃被申請人観光課勤務女子従業員(ガイド)申請外甲野乙子(仮名、以下同じ。)(当時一九年)と情交を結び、甲野はそれからまもなく妊娠し、同年六月下旬頃妊娠中絶をしたこと、および、その後この件につき甲野の父実雄から被申請人に対し、責任を追及する旨の申し入れがあつたこと、は認める。
けれども、申請人は甲野に対し、妻と離婚して甲野と結婚するなどとの甘言を用いて、情交を承諾させたようなことはない。また、申請人は、甲野が妊娠中絶等の事後処理をするについても十分な配慮協力をしており、さらに自らも甲野の両親に対して謝罪する等の問題解決のため誠意ある努力をしている。
2 つぎに、被申請人の従業員に対する懲戒規程の構成につき述べるに、被申請人と組合との間で締結された労働協約(以下単に「労働協約」という)によると、懲戒解雇(広義の意味。すなわち、狭義の「懲戒解雇」「諭旨解雇」等懲戒方式としての解雇のこと。以下、特に限定しないときはこの意味に用いる)について次のように規定している。
第二九条 懲戒は次の一を選び又は二以上を併せ行うものとし細目標準は別にこれを定める。
第二〇条 会社は従業員が左の各号の一に該当するときはこれを解雇する。
一、別に定める賞罰規定により解雇の決定があつたとき
そして、右規定にもとづいて作成された被申請人の「賞罰規定」は、第五条に懲戒解雇に関する条項をおき、同処分に付すべき懲戒事由を列挙しているが、前記1記載の申請人の行為はそのいずれにも該当しない。また、仮りに被申請人主張するように、労働協約にもとづく「細目標準」「賞罰規定」は未だに定められておらず、したがつて被申請人において「賞罰規定」の名称で現存する前記規定(以下「本件賞罰規定」という)は、労働協約にもとづいて作成された細目標準ではないとしても、前記1記載の申請人の行為は、労働協約第二七条ならびに被申請人の就業規則(以下単に「就業規則」という)第六七条の各二・四号所定の事由には当らない。
3 そもそも、前記1記載の申請人の行為は、被申請人の業務とは何の関係もない申請人の私生活の場におけるできごとであるから、本来雇傭契約の規律する領域ではなく、したがつて、被申請人の懲戒権の及ばない範疇の問題である。
なるほど、被申請人には、バスにより運送事業を営んでいる関係上多数の年若い女子従業員がおり、且つこれらの女子従業員が男子運転手と一組になつて遠距離の運行に当り、宿泊することも多い事実はある。しかし、さらに、すすんで右事実のゆえに、被申請人においては、従業員間の男女の風紀を服務規律の問題としてとらえ、特にその厳正な保持を指示しているようなことはない。この点につき、被申請人は、労働協約および就業規則にそれぞれ従業員が風紀秩序を守るべき旨明定していることを強調するが、このような条項は、この種の規定一般に見られる例文のようなものであるから、これが存するからといつて少しも風紀を厳重にひきしめている根拠にはならない。
現に、被申請人の従業員間における風紀は、賃金その他の労働条件が著しく悪いこと(例えば、労働組合の職場要求の中には、宿泊先では女子ガイドが男子運転手と別室で就寝できるように部屋を確保してほしい、というようなものまで出される状態である。)もあつて、不良であり、従来男女間の風紀問題は従業員間に数多く起つているのである。そして、被申請人においても、通常は従業員間の男女の風紀問題につき特に関心を示すこともなく、したがつて服務規律の問題として就業規則を適用して問責することもしないで、放任して来たのである。
このように従来までの慣行に照らしても、申請人の前記行為は、服務規律とは無関係であつて使用者の懲戒の対象とはなり得ないものであるが、もし仮りに服務規律上の問題であるとしても、被申請人において、従来まではこの程度の風紀問題は別に問責することもなく放任する慣行にしておきながら、申請人の前記行為に限つて、就業規則を適用して懲戒解雇に付することは許されるべきでない。
(四) また、本件解雇は、申請人の組合活動を理由とし、さらに組合の弱体化を狙つて行われた解雇であつて、不当労働行為であるから無効である。
1 申請人は活発な組合活動家である。すなわち、申請人は、昭和三六年八月二九日より昭和三八年九月五日まで執行委員・青年婦人対策部長、同月二五日以降執行委員・政治部長の組合役職にあつて、組合の中心的活動家であるとともに自己の職場においても活発な組合活動をしていた。そして、このことは被申請人においても認識していた。
2 被申請人の従業員に対する労働条件は著しく悪かつた。そのため組合は、ストライキを含む争議を度々行い、昭和三六年六月からは年間臨時給を要求する斗争に入つていた。しかも、当時被申請人の経営状態は損失が予想されていたうえ、ストライキの影響を受けた沿線の住民からは国鉄バス乗入れを求める運動が起きて来ていた。このような状況の中で、被申請人は、ストライキを実行する組合はつぶさなければならないと決意し、数多くの組合運営に介入する不当労働行為をするに至つた。その数例をあげると、次のとおりである。
(1) 昭和三九年七月一日、被申請人自動車課長榊原忠雄は、笠岡市川辺屋町所在角屋旅館において組合員である井原営業所所属の自動車運転手等七名に対して、同月五日六日に予定されていた組合のストライキを思いとゞまるよう述べるなどした。
(2) 同年八月三日および五日、被申請人矢掛営業所長兼矢掛駅長藤本哲治は、同営業所において同所所属の自動車運転手森下隼夫に対して、組合を分裂させて第二組合の組織を拡大すべく積極的に行動するよう指示激励した。また、同月四日には、他の営業所長らとともに、組合の分裂策動について協議した。
(3) 同年一〇月中、被申請人は、組合の活動家を狙いうちに配置転換をし、さらに同年一二月八日および九日にも、同一目的の配置転換の内示を行つた。
(4) その他、被申請人の職制が、組合員に対し旅館で組合を脱落するように誘惑したり、あるいは、組合役員に対し組合はその内に切り崩されるなど話して威迫するなど、数多くの不当介入が行われている。
3 本件解雇は、以上の被申請人の不当労働行為の一環として行われたものである。そのことは、被申請人の意を汲んで共同して組合の分裂弱体化を策動している第二組合(井笠バス労働組合)が、被申請人に対して申請人を解雇するように働きかけていたことからも明らかである。
二、仮処分の必要性
申請人には、妻貞子・長男真の家族があり、粗末なアパートの一室を賃借して居住している。そして、通常の労働者と同様に被申請人より受領する賃金をもつて唯一の収入源となし、このほかに収益をあげうる資産を所有していない。したがつて、本件解雇が無効であるにもかゝわらず本案判決が確定するに至るまで、被申請人において申請人の労務の受領を拒否し賃金を支払わないと、申請人とその家族は経済的に困窮し、回復し難い重大な損害を蒙ることが明らかである。
第三、申請の理由に対する答弁および被申請人の主張
一、本件解雇の有効性
(一) 申請の理由一のうち(一)・(二)は認めるが、(三)・(四)は争う。
本件解雇は、後述のように申請人が就業規則および労働協約所定の諭旨解雇処分を相当とする懲戒事由に該当する行為をしたゝめ、右規定にもとづいて為されたものであつて、申請人の組合活動を理由としたり組合の弱体化を狙つて為されたものではないことはもちろんである。
(二) 申請人は、妻貞子・長男真の家族があり、また、組合の執行委員・青年婦人対策部長という女子従業員に対する指導的立場にありながら、昭和三九年二月中頃被申請人観光課勤務の女子従業員(ガイド)申請外甲野乙子(当時一九年)に対して、妻と離婚して甲野と結婚するなどと言つて情交を結び、以来数回にわたつて情交を持つた。その結果、甲野は妊娠し、さらには世間体を恥じまた申請人の勧めもあつて同年六月下旬妊娠中絶を行つた。
しかも、申請人には、かねてから女性問題に関してとかく風評のあるところであり、また、右の件については甲野の父実雄より被申請人に対し、その責任を追及する旨の強い申し入れもあつた。
(三) 申請人の右行為は、就業規則および労働協約の左記条項所定の懲戒事由に該当する。
就業規則
第六七条 会社は従業員が左の各号の一に該当する場合は懲戒する。
二、不正又は不行跡なる行為があつたとき
四、会社又は従業員の信用を失墜したとき
労働協約第二七条、右と同文。
そして、就業規則第六七条、労働協約第二九条所定の各懲戒方式のうちから諭旨解雇を選び、申請人を解雇したものである。
(四) 被申請人が申請人の前記行為に対して、右条項を適用したのは、次のような理由からである。
被申請人には、バスによる運輸事業等を営んでいる関係で多数の年若い女子従業員がおり、且つ、これらの女子従業員が男子運転手と一組になつて遠距離の運行に当り、宿泊することも多いため、被申請人は従業員に対して、男女間の風紀については金銭問題と同様、特に厳正な保持を指示して来た。因みに、就業規則第一三条三号労働協約第七七条三号にも、風紀秩序を守るべき旨明定している。そして、この従業員間の男女の風紀を厳正に保持するよう指示することは、バス運行業者一般に行われていることなのである。したがつて、被申請人においては、従来男女間の風紀問題が多数起つたという事実はないのである。
しかして、このたび申請人の前記行為は、甚しく風紀秩序をみだし、各職場の従業員、特に女子従業員に対して影響するところは極めて大きいのである。
(五) ところで、申請人は、被申請人の懲戒規程につき労働協約第二七条にもとづき細目標準として本件賞罰規定が制定された結果、これが直接に適用されることになり就業規則第六七条、第六九条の各条項は適用されなくなつた、と主張する。被申請人も、本件賞罰規定の存在は認めるが、しかし、この規定は労働協約にもとづいて確定された、第二七条所定の細目標準ではない。
すなわち、本件賞罰規定は、少くとも昭和二八年七月以前に作成されたものであるが、就業規則は昭和三二年二月一〇日に施行され、労働協約は昭和三六年一一月二八日に締結されたものである。したがつて、本件賞罰規定が労働協約にもとづいて作成された余地はない。かえつて、右規定のうちで、就業規則および労働協約の定めに反する部分の効力は失効した、というべきである。
このように、労働協約にもとづいた標準規定は未だ作成されておらないのであるが、被申請人においては、それまでの間とりあえず従前よりあつた本件賞罰規定をもつて、就業規則を適用するにあたつて所定の条項を解釈するための一応の標準として用いて来たまでである。したがつて、本件賞罰規定自体は、懲戒の根拠規定ではないのである。
二、仮処分の必要性について
申請人の家族関係は認めるが、その余は不知。
第四、立証<省略>
理由
一、被申請人が、主として岡山県西部地域において鉄道バスによる運送事業を営んでいる株式会社であり、申請人は、昭和三一年三月二二日被申請人に試雇として雇傭され、同年五月二二日本採用されて車掌となり、以来申請人主張のとおりの経歴をたどつて玉島営業所営業係の地位にあつたところ、昭和三九年一一月一六日被申請人に諭旨解雇されたこと、および、同日以前三ケ月間の申請人の平均賃金は月額一一、四九〇円であり、その支給日は毎月二六日であつた事実は当事者間において争いがない。
二、ところで、本件解雇は、就業規則および労働協約所定の懲戒規程にもとづく懲戒解雇であるから、その効力を考えるにあたつては、まず被申請人の懲戒規程の構成から考察して行こう。
成立につき争いのない乙第一・二号証および本件口頭弁論の全趣旨によれば、被申請人は、昭和三二年一二月一〇日現行の就業規則を施行し、また、昭和三六年一一月二八日私鉄中国地方労働組合との間に労働協約を締結し、以来右協約は今日まで更新されて来ている事実が一応認められる。そして、これらの就業規則および労働協約は、前者は第六七条ないし第六九条に後者は第二七条ないし第二九条に、それぞれ同文でもつて懲戒に関する規程をおいている。そこで、このうち労働協約の右条項の内容を掲げてみると、
(懲戒事由)
第二七条 会社は従業員が左の各号に該当する場合は懲戒する。
一、法令又は会社の諸規則に違背したとき
二、不正又は不行跡なる行為があつたとき
三、業務の正常なる運営を妨げ又は職務上の義務に違反したとき
四、会社又は従業員の信用を失墜したとき
五、会社に損害を及ぼしたとき
六、その他懲戒を必要とするとき
監督の地位に在る者が所属員の行為について監督不行届であつたときは懲戒する
(懲戒審査)
第二八条 懲戒は関係課長の上申に基き別に定める賞罰委員会に諮りこれを行う。特に本人が直接出席し事情を説明方希望するときはその陳述を認める。
(懲戒方式)
第二九条 懲戒は次の一を選び又は二以上を併せ行うものとし細目標準は別にこれを定める。
一、譴責
二、減給
三、出勤停止
四、資格待遇停止
五、降職
六、降格
七、諭旨解雇
八、懲戒解雇
以上のとおりである。これによると、懲戒事由についてはやや抽象的に定めておき、また懲戒方式についても各方式を列挙するにとゞめている。そして、具体的明細な懲戒事由とその夫々に応じた具体的な懲戒方式については、別個に細目標準を作成して定めることになつている。もつとも、右協約の条項の内容も、雇傭法律関係の法理念なり当該雇傭契約の個別事情、労働経済事情等を総合して判断すれば、個々の具体的行為に対応した一定の懲戒方式を客観的に明らかにすることができるから、右条項自体も懲戒規定として一応完結的にはなつている。けれども、それをさらに具体的明細に規定することは、労働慣行や法理念から考えてより望ましいことであるので、別に細目標準を作成してこれを規制しようというのである。しかして、右細目標準が定められたときには、労働協約の前記条項の空白部分を補充するものとなり、それは労働協約の一部に化するというべきである。
そこで、次に、右細目標準が作成されたかどうかを判断しよう。成立につき争いのない甲第二〇号証、第二八ないし第三〇号証、乙第二九号証の二のうち活字印刷部分、証人名古屋義寛の証言により成立の認められる乙第三六号証、証人高田益三の証言および同証言により成立の認められる乙第二九号証の一のメモ部分、証人花田勇、同時松明、同小寺勇の各証言によれば、次のような事実が一応認められる。
(一) 被申請人には、本件賞罰規定が存在し、その内容は、第三条に、前記労働協約所定の各懲戒方式を列挙したうえその内容を説明し、さらに第四条では、その懲戒方法のうち譴責、減給、出勤停止、降職、降格に処すべき懲戒事由を一五項目にわたり、また、第五条では懲戒解雇に(但し、情状によりそれ以下の処分に)処すべき懲戒事由を一八項目にわたつて、具体的明細に規定している。
(二) 本件賞罰規定は、現行の就業規則や労働協約が作成される以前から存在し、被申請人は従業員の賞罰を決する基準としていた。そして、現行就業規則等が施行された以後においても賞罰委員会の会社側委員は右賞罰規定をもつて事案を判断して来た。ところが、昭和三六・七年頃より賞罰事案が増加して来たゝめ、賞罰委員会の審議の席上組合側委員より会社側委員に対して、事案を決するにつき客観的な基準となるものはないかという話が出て、それに応じて会社側委員が本件賞罰規定の写しを組合側委員に交付した。
そして、その後の賞罰委員会の審議においては会社側組合側各委員了解のもとに、もつぱら本件賞罰規定に則つて事案を審議し決していた。これは、本件解雇につき審議した際も同様であつた。そして、そのうえで被申請人は右規定にもとづき従業員に対し賞罰していた。
また、労働協約第二〇条、就業規則第七九条(両条項とも同文)は解雇事由を定め、その第一号に「別に定める賞罰規定により解雇の決定があつたとき」と規定しているが、被申請人においては、右にいう賞罰規定とは本件賞罰規定のことをいうものと考えていた。
(三) しかし、被申請人と私鉄中国地方労働組合との間で本件賞罰規定をもつて労働協約第二九条所定の細目標準にしようという協定はなされたことはなかつた。また、被申請人において、就業規則作成と同様の手続により、右賞罰規定をもつて就業規則第六九条所定の細目標準とする旨、定めたこともなかつた。
以上の事実が一応認められ、この認定に反する証人時松明、同小寺勇、同高田益三の各証言の一部はにわかに措信し難い。右事実によれば、被申請人と私鉄中国地方労働組合との間で、本件賞罰規定をもつて労働協約第二九条所定の細目標準とする旨の合意も、また協定書の作成・当事者の署名等労働協約の作成に必要な手続が一切為されておらないのであるから、右賞罰規定が労働協約の一部となつてその内容を補充する効力が生ずる余地はなく、したがつて、労働協約第二九条所定の細目標準にはあたらないといわねばならない。もつとも、被申請人は、従来から本件賞罰規定にもとづいて従業員を懲戒して来ており、またその適用については組合側賞罰委員さらには組合自体においても了解していたことはうかゞわれるのであるが、労働組合法第一四条において、労働協約の効力が生ずるための要件を極めて厳格に定めている趣旨を考えるならば、単こそのような事実が存在したからといつて、たゞちに前記結論をかえるわけにはいかない。そして、本件賞罰規定のほかには労働協約所定の細目標準となるべき規程が定められたとの主張もないから、結局、右細目標準はなかつたというべきである。
なおこゝで、本件賞罰規定の法的性格につき若干付言してみるに、被申請人において、就業規則作成に必要な手続でもつて右賞罰規定をもつて就業規則第六七条所定の細目標準とする旨定めたこともなかつたのであるから、右細目標準と考えることもできないはずである。けだし、先に労働協約に関して述べたのと同じ理由で、この場合の細目標準は、就業規則の一部となるべきものである以上、それに相応する作成手続を要すると解されるからである。また、本件賞罰規定の内容が、従業員に対して周知されているのならともかく、そのような形跡もない以上就業規則に準じた効力を考えることもできない。そうすると、結局、本件賞罰規定には、個々の雇傭契約を規律する効力をもたず、これを根拠として労働条件に変更をきたすような懲戒はなし得ないことになる。
しかして、被申請人は、労働協約第二七条ないし第二九条あるいは就業規則第六七条ないし第六九条の各条項を、直接の根拠規定として、従業員に対して懲戒を為すことになる。
三、そこで、次に、被申請人が本件解雇の懲戒事由として主張する、申請人の行為の存否を判断しよう。
まず、申請人は、妻貞子・長男真の家族があり、また組合の執行委員・青年婦人対策部長の地位にあつたが、昭和三九年二月中頃被申請人観光課勤務の女子従業員(ガイド)申請外甲野乙子(当時一九年)と情交を結び、甲野はそれからまもなく妊娠し同年六月下旬頃妊娠中絶をした事実については当事者間に争いがなく、また、証人藤本哲治、同甲野実雄の証言により成立の認められる乙第二五号証と申請人本人尋問の結果によれば、申請人と甲野は右情交以後も妊娠中絶をするまでの間、一泊旅行などもしてさらに五・六回情交を重ねていた事実が一応認められる。
ところで、右両者がこのような婚姻外の情交を結ぶに至つた事情につき当事者間に争いがあるので審究するに、前記乙第二五号証、証人平井学の証言によれば、甲野は昭和三八年四月被申請人に雇傭され当初は本社観光課においてガイド教育を受けていたが、その間である同年夏の無線機の講習を受講した際申請人とはじめて知り合い、以後組合の集会のときに話しをかわすことはあつたが、別に個人的に交際したようなことはなかつた。そして、甲野が福山営業所勤務に転ずる直前の昭和三九年二月一〇日頃、組合と神戸電鉄株式会社の従業員の組織する労働組合との各青年婦人部の交流会が有馬温泉で行われた際、申請人と甲野はともに参加し顔を会わせたのであるが、翌一一日の昼食後二人で雑談していた際、甲野においても申請人には妻子があることを承知しておりながら、交流会の解散後夜になつてから三原市中にて二人で逢引する約束をした。そして、その夜逢引し同市内の旅館に宿泊して情交を結んだ、との事実が一応認められる。ところで被申請人は、甲野が右情交を結ぶに至つたのは、申請人が甲野に対し、妻と離婚して甲野と結婚する旨甘言を弄し、甲野がそれを信じたからであると主張し、前記乙第二五号証および証人花田勇、同惣津章雄、同甲野実雄の各証言中には、右主張に沿う部分もある。けれども、右証拠によれば、甲野乙子は、その後申請人との情交、妊娠中絶、そのための欠勤の一連の行為に関して、被申請人からの懲戒や父親の叱責をおそれていたことがうかゞわれるところ、このような状況の下で被申請人に提出するために書かれた乙第二五号証にはその信憑性にうたがいがあり(はたしてその内容は自己弁護の色彩が強い)、また、前記各証拠によれば、申請人が甲野に対し、同女と将来結婚したい旨あるいは新妻呼ばわりしたような文面の手紙を数通出している事情もうかゞわれるが、前記認定の事情のもとで結婚外の情交関係に入つた男女間においては、右文面のような手紙がやりとりされていたからといつて、それがたゞちに双方にとつて真意と信頼をこめたものと受け取られていたかは多分に疑われるところである。しかして、右検討の結果と前記認定の事実とに照らすならば、右各証拠によるもにわかに前記被申請人主張事実を肯認し難く、かえつて、申請人と甲野は、むしろ双方ともに享楽的なものを求めて情交関係を結ぶに至つたのであつて、将来婚姻するつもりまではなかつたもの、と推認するのが相当である。
四、そこで、次に、申請人の右行為が就業規則第六七条(労働協約第二七条)二号「不正又は不行跡なる行為があつたとき」四号「会社又は従業員の信用を失墜したとき」の各懲戒事由に該当するか、および、それが就業規則第六九条(労働協約第二九条)七号所定の諭旨解雇に処するを相当とする事由であるかどうか考えてみよう。
思うに、使用者は、雇傭契約にもとづき労働者から労務の給付を受け、これを収益する限りにおいて労働者に対し指揮命令する権利を有する。そして、この権利によつて労働者を企業秩序の中に位置づけ、もつて企業生産体を組織するのである。しかして、使用者の労働者に対する懲戒権とは、使用者の右指揮命令権を裏付けて企業秩序を維持し企業生産性の向上を図るため、命令の違反者に契約上の不利益を与え、もつて使用者の契約上の利益を確保する性格の所謂契約罰である。したがつて、その行使は右目的を達成するに足る必要にして最少限の範囲にとゞめられるべきである。特に、そのうちでも懲戒解雇処分は、労働者を企業体より終局的に排除する最も重い懲戒処分であり、ことに現下の労働事情においてはこれにより労働者の受ける苦痛は著しく重大であることを考えあわせると、これに処すことができるのは当該労働者を企業体から排除しなければならない程に重大な事由であつて、しかも排除しなければ企業秩序と企業生産の正常な運営が侵害されるおそれのある場合に、懲戒事由を限定するものと解すべきである。されば、前記就業規則(労働協約)の各条項の意味も右趣旨に則つて理解すべきであり、そのうえで右条項の適用が為されるべきである。
まず、申請人の前記三記載の行為が「不行跡なる行為」あるいは「従業員の信用を失墜した」ものに、文言上該当することは明らかである。しかし、右行為は、申請人・甲野の勤務外の私生活上の行為であり、直接には被申請人の企業秩序を紊乱するものではないから、一見使用者の懲戒の対象となるべき企業秩序や企業生産の阻害とは無関係のように思われないではない。しかし、当事者に争いのない事実によれば、被申請人は、バスによる運送事業を営んでいる関係上多数の年若い女子従業員がおり、且つ、これらの女子従業員が男子運転手と一組になつて遠距離の運行に当り、宿泊することも多いという勤務形態にあるというのであるから、申請人の行為のようにたとえ業務外ではあつても、妻子のある男子従業員が未成年の女子従業員と享楽的な気持で婚姻外の情交を結ぶような風潮がおきたならば、それはいつ業務の場に持ちこまれないとも知れない状況となり、特に女子従業員にとつては職場は安心して働けない所となり、ひいては、被申請人の業務の正常な運営にも支障を来たすことになろう。したがつて、申請人の行為も私生活上の行為ではあるが、やはり被申請人の企業秩序をおびやかす性質をもつものというべきであるから、前記就業規則の条項所定の懲戒事由には該当しよう。
そこで、次に、被申請人が申請人の前記行為に対する懲戒方式として就業規則第六九条(労働協約第二九条)所定の各懲戒方式のうちから諭旨解雇を選んで、それに付したことの適否を考えるに、諭旨解雇もまた法律観念的には懲戒解雇のうちに含まれるものであるから、その行使についても前記懲戒解雇の行使につき述べた法理に従つてなされるべきところ、申請人がこの種の行為を従前から公然とまた常習的にくりかえし、そのために被申請人から度々注意を受けていたような事情があるならばともかくとして、そのような事情もなく、前記のような被申請人の企業秩序が現実に侵害されたという疎明もないのであるから、前記行為をもつて申請人を企業秩序から排除しなければならない程に悪質な事由とすることはできない。(なお、成立に争いのない乙第三二号証の一および申請人本人尋問の結果によれば、申請人は結婚する以前においても一年半程女性と同棲していたことがうかゞわれるが、これは被申請人の企業秩序の維持と全く関係のないものというべく、本件においては斟酌する必要はないと思われる。)
五、そうすると、申請人の前記三記載の行為は、就業規則第六七条二・四号、第六九条(労働協約第二七条第二・四号、第二九条)にいう懲戒事由には一応該当するとしても、解雇には値しないものというべきであり、したがつて、本件解雇は、就業規則および労働協約の適用を誤つたものとして無効である。よつて、申請人と被申請人との間の雇傭契約は存続しており、申請人はこの契約にもとづき被申請人の従業員たる地位を失つておらず、本件解雇以降毎月一一、四九〇円の割合による金員の支払いを毎月二六日限り求める権利がある。
六、ところで、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、妻子とともにアパートの一室を月額二、五〇〇円で賃借して居住し、本件解雇により被申請人から賃金の支給を断たれた後は組合より月額二万円弱の割合で借入れを受け、また、申請人の妻は喫茶店に雇われて月額一五、〇〇〇円弱の収入を得てかろうじて生計を立てゝいる事実が認められる。そして、右借入金なるものは本件解雇により申請人に生じた生活の困難を緩和するための臨時的応急的処置にすぎないから、申請人がその生計を維持して行くためには、被申請人に対し前記月額一一、四九〇円の割合による賃金を仮りに支払いせしめる必要がある。よつて、その限度においては仮処分の必要があるのでこれを認容することとし、(これ以外に雇傭契約上の権利を有する地位を仮りに定める必要は認められない。)申請費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 柚木淳 井関浩 木原幹郎)